”金より水”を知る、父のはなし
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昭和50年の夏休み。
道端にしゃがみ込んで、汗をぬぐいながら缶ジュースを飲んでいる労働者たち。
「こわ〜い」
「きたな〜い、くさいんだよ〜」
そう言って駆け足で通り過ぎる思春期間近の小学生、中学生の声が、胸の奥で鈍く響いた。
胸が痛くてたまらなかった。
その気持ちを、どう言葉で表現していいのかもわからなかった。
だって、そこにいるのは、
もしかしたら昔の父かもしれないし、
わたしをかわいがってくれていた、従業員のおじさんかもしれないから。
少なくともわたしにとっては「きたない」なんて言葉で片付けていい人たちではなかった。
わたしの世界の中の、あたたかくて、まっとうな存在を見下す言葉は、わたし自身の根っこを踏みにじる言葉でもあった。
当時まだ8歳の子どもだったわたしにできたのは、通り過ぎるその子たちに向けて無言のまま軽蔑のまなざしを返すことだけだった。
わたしの大切な人たちが、"怖がられる存在"として扱われること
その怖れは、暴力的ではなく、
"無理解"という形で日常に染み込んでいる。
あのとき言語化できなかった決意と気付きを書く。
- 目立たない誰かの尊厳が、こっそり否定されていく世界には加担しない
- 目をそらさず、その不在の声に気づく人間であること
- 人は知らないものを怖れ、怖れることで見えなくなる
父は小学校しか出ていない。
その小学生時代ですら戦時中。軍国主義の時代だ。
ADHDという概念も理解もない時代に、理解されない多動型の子として、毎日のように教師から投げ飛ばされていた。そして、11歳の時に長崎で被爆。
終戦後、中学で学んだという話しは父の口から聞いたことがない。
炭鉱で働き、その後無人島で過ごし、
上京を目指す途中で小田原の街が気に入って、神奈川に落ち着いた。
土木の現場で身体を使って働き、独立して社長になり、
家族を食べさせ、雇った人たちの暮らしも支えた。

わたしが物心ついた頃には会社も軌道にのってとても稼いでいたけど、父が自分のためにお金を使ったところを見たことがない。
というより、物欲自体、ない。
高度成長期にぐんと成長した会社は、バブル崩壊とともに他人の借金を背負うようなことも起き、厳しい局面を迎えた。
しかしそんな状況の激変にも、父の人格自体はなんら変化しなかった。
※人として欠点がないと言っているわけではない。欠点はある。大いにある。けれど、それでも、揺るがなかった。
なんでそんなふうにいられたのか──
わたしは、"あの話"が関係している気がしている。
金の時計と水
原爆が落とされた直後、焼け焦げた男性が、逃げる父の足首を掴んで言ったという。
「この金の時計、やるから、水をくれ」
おそらく、足首を掴んだ男性は、当時"力のある人"だったのだろう。
敗戦色濃い終戦間近に、腕に金の時計をしていたのだから。
その人物にとって、"それ"は「戦後も自分の世界が続く」前提で身につけていたものなのか、「現金より信用でき、国が潰れても価値が残る」ものとして命綱のように所持していたものなのか、その人物の背景はわからない。
いつでも正確に時を知り、予定を支配し、未来を計画するために着けていたものかもしれない。
けれど爆心地では、時間そのものが崩壊した。
目も耳も焼き切られるような白光が走り、風も音も消え、世界が止まった。世界から「空気」「音」「時間」がごっそり抜け落ちた空白が生まれ、
──それから一拍遅れて轟音と衝撃波と熱線が襲ってきた。
昼も夜もなく、予定も明日もなく、ただ「今、生きるか死ぬかどうか」だけが残された。
そこで金の時計を差し出して「水をくれ」と言う姿は、時間を支配していたはずの者が、時間から捨てられた瞬間だったのかもしれない。
焼かれた街でさまよう人は、みな喉が渇き、
逝こうとする人は、ただ一杯の水を欲しかった。
少年だった父は、あの瞬間に知ってしまったのだと思う。
人が生き延びようとするとき、金(金の時計)よりも大切なものがある。
だから父は、自分が力(経済力)を持ったあとも、その力で自分と比較して人を責めたり、値踏みしたりはしなかった。
わたしが京都の大学で学生生活を送っていた頃、父は頻繁に京都を訪ねてきた。
いつも錦市場で食材を買い、わたしに小遣いを渡し、日帰りで帰っていった。
あるとき、見送る時間に駅で父がふとつぶやいた。
「昔、京都駅で人を待ってるだけだったんだが、駅員に追い出されたことがあるんだ。たぶんこの辺だ。
・・・人夫の服だったからな。」
父は淡々と話していた。
でも私はその静けさの奥に、差別され慣れている人間の、言葉にならない哀しみを感じてしまった。
それが、悔しくて、悲しかった。
父のおかげで、わたしは経済的な不自由を知らずに育った。
しかし、99年からひとりで自営をしているわたし自身の収入は、
「贅沢に興味がなくて本当によかった」と言える程度の収入だ。
それでも、不思議と余裕がある。
財布にではない。マインドに。
「お金の有無で自分を値踏みしない」という軸を、
父から受け取ったからだ。
近年、
「働けるのに働かないなんて怠け者」
「生産性がないやつは価値がない」
「生活保護もらってぷらぷらして」
そんな言葉が飛び交っている。
しかし人の価値は、そんなもので測られるものではない。
笑ってる人は、幸せなときしか笑わないの?
泣いてる人は、悲しいときだけ?
違うことだってあるでしょ?
背景を、想像してみてほしい。
もし想像するのが面倒なら、せめて、自分の不安を誰かへの罵倒にすり替えたりしないでほしい。
「移民によって治安が悪くなる」といった声を耳にすることもある。
でも実際に国内で犯罪を起こしている多くは日本人だし、
日本の社会はもう、外国人労働者の力なしには立ち行かない。
介護、建設、物流、コンビニ──
私たちの日常のインフラの中で、
異国の地で言葉の壁を越えて働いている人たちがいる。
彼らがどれだけの困難を越えてそこに立っているかを思えば、
「よくやってる」どころではない。尊敬に値する。
不安を煽って他者を悪者にする人間と、
自分の弱さを抱えたまま、異国で手を動かしながら暮らしてる人間。
あなたなら、どちらの姿勢に信頼を置く?
先日、井上尚弥チャンピオンの対戦相手、ムロジョン・アフマダリエフ選手と、街中で彼を見かけた労働者たちが握手を交わす動画を見た。
言語は分からない。しかし、あの場の空気は伝わった。
炎天下、額に汗しながら働いている彼ら(労働者たち)とアフマダリエフが、声をかけ、笑い合い、敬意を交わすあの一瞬。
「見てるよ」「応援してるよ」「ありがとう」
汗と努力の匂いを知る者同士のまなざし。
それを見て、私は自然に祈るような気持ちになった。
どの国にいても、どの立場であっても、
差別や偏見で傷つくような世界であってほしくない。
誇りをもって生きてる人の顔が、曇らない世界であってほしい。
もし父がいまの時代に生きて仕事をしていたら、きっと外国人労働者を積極的に雇っていただろうと思う。
働く意志と倫理があれば、国籍も、見た目も、学歴も、採用の条件にしなかったはずだ。
「人の価値は、どれだけ役に立つかではなく、どんな姿勢で生きているか」
そういう見方を自然にしていた人だから。
今、わたしが"水を手渡している"相手は、人ではなく犬かもしれない。
言葉で感謝もされないし、社会的な評価が増すということもない。
でも、そこにはまなざしがある。
犬は常に自分の良心を刺激する存在で、哲学の師匠だ。
見返りを求めず、ただ存在に向けて水を渡すこと。
それが、私にとっての"倫理の輪郭"を確認する行為になっている。
普遍的な倫理とは、「何を持っているか」ではなく、「どう在るか」から始まるもの。
- 比較しない強さ
- 見返りを求めない優しさ
- 変わらないまなざし
- 崩れない人格
- 「何もできない」人を見下さない静けさ
わたしはそれを、父の背中から受け取った。
金の時計のようにピカピカしたものではないけれど、
犬に水を差し出すときの、あの澄んだ空気のように、確かなものだ。
たぶん、父も、ちょっと口元を緩めて
「うん、そういうことだな」
って言うと思う。
この記事はマーヴィン・ゲイの曲を聴きながら書きました
